2021
Existence

「みんな」とはいいことだと教えられてきた。そして「みんな」になれない人が「一人」。そのくせ、「一人」を楽しんでいる人は、どことなくカッコよく見えたりもする。誰も主体的に「みんな」ではない。そう、主体が無いから「みんな」。でも「みんな」は「一人」が集まればそれで「みんな」。本当の「みんな」の正体は「みんな」の中に放り込まれた「一人」。だから、誰も本当の意味での「みんな」を知らない。知らないから、誰も自分からは「みんな」になれない。「みんな」とは「世間」であり、「組織」であると言ってもいい。「みんな」とは違う「一人」であると主張するところがある。でも、「みんな」になろうともする。「みんな」は「空気」とか「常識」とかと呼ばれる枠組みを有している。「みんな」の枠組みから漏れないかと不安を抱え、苦しむ。「みんな」の中にいる「一人」であり、「みんな」からの評価も気になる。でも得体の知れない「みんな」の評価なんか分からない。でも、不安だから自分で想定する。これが「みんな」ということなのだろうか、と。今一度、「一人」にかえろう。身勝手にふるまうという意味ではなく。和を以て貴しと為すことは美しい。でも、それは「同じ」が貴いのではではない。「共に」が貴いのである。ばらばらでいっしょである。今一度、「一人」と「一人」にかえろう。自分の価値観、世間を、「みんな」を絶対化し、はからい続けた私だけどすべての物事が相対化される世界を生きよう。それはまた、人間として本当の意味で自立することに繋がる。無理に考え方を変えたり、自分に嘘をついたりしなくてもよくなる。自分の人生に責任をもって、自らが考えて生きていくことになる。その歩みは私の人生を私「一人」が大切に歩む第一歩になり、「みんな」と共に生きる第一歩になるから